2006年8月22日 (火)

自叙伝(3)-5


 しかしこの竹薮はそんな優しいことばかりには使われなかった。
 新発田は新発田町というのと、新発田本村というのと二つに分かれていた。町というのは昔の町人町で、本村というのは侍屋敷のあったところだ。今でもやはりそうだが、その当時もやはり大体そうなっていた。小学校も尋常小学校は別々にあった。そしてこの町と本村では、風俗にも気風にもだいぶ違うところがあった。

 町の子が練兵場に遊びに来ると、彼らは障害物もなにもできないので僕らはよく彼らをからかったり苛めたりした。そんなことがいろいろと重なって、とうとう町の子と僕らとの長い間解けなかった大喧嘩となった。

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2006年8月11日 (金)

自叙伝(3)-4


 日清戦争前には、僕の家は、今言った練兵場に沿うた、片田町というのにあった。四番目の家だ。これも焼けて無かった。

 そのころの僕の遊び場は練兵場だった。
 射的場と兵営のお濠との間には障害物があった。これは、二、三百メートルばかりの間に、灌木の薮や、石垣や、濠や、独木(まるき)橋や、木柵などを並べ立てたもので、それを兵隊が競争するのだった。僕はそこで毎日猿のように、薮を飛び、濠を越え、橋を渡って遊んでいた。兵隊が競争しているそばへ行って、それと一緒に走り出しても、たいがいは僕が先登だった。それが飽きると、というよりむしろ、もう夕方近くになって兵隊がみな隊に帰ると、僕はよく射的場の弾丸を掘りに行った。

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2006年8月 8日 (火)

自叙伝(3)-3

父はちっとも叱らなかった。
「あなたがそんなだから、子供がちっとも言うことを聞かないんですよ」
 母はよく父を歯がゆがって責めた。そして日曜で父が家にいる時には、今日こそはぜひ叱ってくださいと迫った。

「今日は日曜だからな、あしたうんと叱ってやろう……うん、そうか、また喧嘩をしおったのか…なに、勝った? ……うん、そりゃえらう、でかした、でかした……」
 父は母が迫れば迫るほどのんきだった。

 

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2006年8月 1日 (火)

自叙伝(3)-2

「栄」
と大きな声で呼ばれると、僕はきっとまた何かの悪戯が知れたんだろうと思って、おずおずしながら出ていった。
「箒を持っておいで」
 母は重ねてまた怒鳴った。僕はしかたなしに台所から長い竹の柄のついた箒を持っていった。
「ほんとにこの子は馬鹿なんですよ。箒を持ってこいと言うと、いつも打たれることがわかっていながら、ちゃんと持ってくるんですもの。そして早く逃げればいいのに、その箒をふりあげてもぼんやりして突っ立っているんでしょう。なお癪にさわって打たないわけにはゆかないじゃありませんか」

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2006年7月28日 (金)

自叙伝(3)-1

久々の再開です。


 三

 こうして僕は毎日学校で先生に叱られたり罰せられたりしていた間に、家ででもまた終始母に折檻されていた。母の一日の仕事の主な一つは、僕を怒鳴りつけたり打ったりすることであるようだった。

 

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2006年1月 7日 (土)

自叙伝(2)-5

 明けましておめでとうございます。スローペースの自叙伝ですが、今回で小さな区切りが一つつきました。次は違う話題にしようかな……。ともあれ再開。


 この家から道を距てたすぐ前は、尋常四年の時の教室だった。僕はその教室のあったあたりを慄えるようにして眺めた。
 受持の先生は島といった。まだ二十歳前後だったのだろう。ちんちくりんの癖に、いつも妙に口もとを引きしめて、意地悪そうに目を光らして、竹の根の鞭で 机の上をぱちぱち鳴らしていた。なにかというとすぐそれで打つのだった。僕はほとんど毎日のようにこの鞭の下に立ちすくんだ。そして僕は、その事情をよく 覚えていないが、この先生のおかげで算術が嫌いになったような気がする。

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2005年12月28日 (水)

自叙伝(2)-4

 それにしても不思議に思うのは、この大杉の自伝、大正時代に書かれたものであるということ。いまから100年の昔の話。そこにもやはり、いまと同じような口調で話をしていた日本人がいたなんて面白い。
 さて、さらに自伝は続く……。


 父の家は十幾軒か引っ越して歩いた。そしてその中で三、四軒火事で焼けたほかには、ほとんどみな昔のままで残っていた。僕はその家の前を、ほとんどその引っ越し順に、いちいち回ってみた。

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2005年12月27日 (火)

自叙伝(2)-3

あっという間に年末になってしまいました。書きたいことがいっぱいあるのに……。ともあれ自伝の続きです。

 が、とにかく父は新発田に逐いやられたのだ。
 父は、やはり同じ近衛から新発田へやられるもう一人の下士官といっしょに、東京を出た。僕はその旅の中で、碓氷峠を通る時のことだけを覚えている。碓氷峠にはまだアプト式の鉄道も敷かれてなかった。そしてその海抜幾千尺か幾里かの峠を、僕らは二台のガタ馬車で走った。

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2005年12月 2日 (金)

自叙伝(2)-2

久しぶりの更新です。しかし、なかなか先へ進まないな。地道にやっていきます。


 が、五つの春から、僕も幼稚園に行くようになった。そして毎日お米さんと手をひいて、富士見小学校へ通った。
 しかし、その幼稚園がはたして富士見小学校付属のであったかどうかは、実は断言することはできないんだ。ただ、いつかふいとその前を通ったら、どうも見覚えがあるので、中にはいってみた。するとそれが長い間僕の頭の中にあった幼稚園そのままなんだ。で、僕はそれがこの富士見小学校付属のだと、ひとりで決めてしまったのだ。

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2005年11月 8日 (火)

自叙伝(2)-1

大正時代のアナーキスト、大杉栄の「自叙伝」より。軍人だった父の話、初恋めいた話など、子供の頃の思い出話が続きます。

 二

 父には学歴はまるでなかった。
 ただ子供の時から本を読むのが好きで、丹羽の老人のところから本を借りてきては読んでいた。そしてその土地の習慣で、三男の父は一時お寺にはいって坊主になっていた。が、西南戦争が始まって、はじめて青雲の志をいだいて、お寺を逃げ出して上京した。
 そしてまず教導団にはいって、いったん下士官になって、さらにまた勉強して士官学校にはいった

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